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15年分のあしあと

小6の冬、僕は受験戦争の真っ只中にいた。

左を見ても右を見てもライバルばかり。
どこの子も、お金持ちの家出身ばかり。
親が医者だったり学校の先生だったりと、色様々。

僕にはそんな肩書きなんてなかった。
ただの普通の12歳の子供だった。
だけど、だから、誰にも負けない個性を持とうと必死だった。
みんなより早く漢字を書けた。
みんなより早く計算をした。
みんなと違った作品を造った。
誰も書けないような作文を書いた。

だけど、誰ひとりとして僕に目を向けようとしなかった。
見向きもせず、ただ名誉や地位だけに引っ張られていた。
個性なんて、無駄だった。
ただテストの点さえよければ全て済むのだ。
僕は絶望した。

小3からずっと入っていた塾で、僕はいつも上位3人の中に入っていた。
塾内の席順は、いつも成績順に席替えをした。
上位3人は一番前の一番ドアに近いところ。
順位が下がるごとに後ろの方の席になる仕組みだった。

僕はその席順なんかどうでもよかった。
ただ視力よかったから(笑)前すぎると見難いってところはあったけど。
でも上位3名の中に入ると、タダでノートが貰えるから、それ目当てで頑張ってた。
それだけが、僕が頑張った証になった。
証は塾の授業の黒板写しと計算式や漢字で見る間に埋まって
ただの文字が羅列した紙っぺらのゴミになった。

その頃、お小遣い制度なんか取り入れていなかったので、
買いたいものがあったらその時にお金を配布される方式だった。
僕はそれが、買い与えられる「エサ」のようでイヤで仕方が無かった。
自分の買いたいものの為に貯金することなんて、なかった。
そうやって買い与えられるのが嫌いになった。
モノを欲しがらなくなった。
我慢する癖がついた。

「物欲なんて喉元すれば熱さ忘れるものだよ」
若干12歳で何かを悟っていた気がする(笑)
ただ、その頃の僕は、ただ我慢するだけで発散することを知らなかった。
どんどんストレスは溜まっていった。積もっていった。
誰の救いも求めなかった。
何を言われても我慢した。

塾のクラス内で上位3名の中に入れないときがあった。
親に何て言い訳すればいいのか、わからなくなった。
バカ正直に、言った。
頬を、パシンって叩かれた。
僕は泣かなかった。
「受験前なのに何て点数を取ってる!」
「こんなんじゃ受験落ちても仕方がないな」
「もっと頑張りなさい」「もっと勉強しなさい」「もっと・・・」
上位に入れなかったのも、僕のせい。そのことで怒られるのも、僕のせい。
勉強しなかった僕のせい。努力の足りない僕のせい。全部、全部僕の・・・
ずっと同じような考えが頭の中で響いてループした。
我慢していても、頭の中の回転は止まらなかった。
悲しみよりも恐怖や憎悪が先に立った。
でも、それすらも我慢した。
感情は、捨てていた。
壊れて動かない、無表情な操り人形のようになっていった。



勉強にも大した熱意は無くなっていった。
順位は当然の如くガタ落ちした。

皮肉にも、そのまま受験期に突入してしまった。

同じ学校の同じクラスから、あまり目立たなかったHさんが
同じ中学を志望していることを、直に知らされた。
なんで、僕がそこを受けることを知ってる?
なんでそれを僕に言う必要がある?宣戦布告?
こころの中の呟きも全部押しこんで、「お互いがんばろ」って、思ってもみないことを口にした。
Hさんは素っ頓狂な声をあげて、それから厭味ったらしい笑顔を貼りつけて「うん」って言った。
ヤツには、ヤツだけは絶対負けたくないと思った。

公立中学1校しか志望してなかった僕は、Hが他の中学を沢山受けてると知って
そんなにすべり止めして、そんなに市立の中学行きたくないわけ?と思ってしまった。
確かに、あの中学は評判悪いけれど。
でも、それはHだけじゃなかった。他の塾生も6・7校は余裕で受けていると聞いた。
僕が両親にそのことを話すと、「そんなに沢山、中学を受ける金も必要もない」と言われた。

受験戦争、当日。

「この中学を落ちれば、3年間バカで有名なあの中学に行くことになるんだぞ」
ずっと、言われ続けた。
耳にタコができそうなくらい言われ続けた。暗唱できるくらいに。
そして、試験。
塾でやった問題ばかりだった。
でも、解答欄がズレたりして、かなり時間のロスになった。
僕は、焦っていた。
空欄が幾つかあったけれど、書いた解答には自信があった。

テスト後。
HとHの母親と、僕と母で(最高にイヤな組み合わせ!)デニーズで昼ご飯を食べた。
この上なく気持ち悪かった。居心地が悪かった。飯が不味かった。
僕は一切、ひとことも喋らなかった。
でもHは一方的に僕に話しかけてきた。
「テストどうだった?」「全部かけた?」「結構埋められたけど」
「わかんないところいっぱいあった」「問4の答えってなに?」・・・
全部、生返事で返した。
話す気は更々なかった。話したい気分ではなかった。

「結果が出るまで、みんなライバルだ。蹴落としてやると思っておけ」
父は何度も繰り返し言った。頭が痛くなるまで言った。

で、結果。
その日に受験結果が出た。

落ちた。

内進生が多くて競争率が高いのは知っていた。
周りで喜びの声が聞こえる。
こだまして僕の中に響く。
ああ うるさい、黙れ・・・
Hの喜ぶ顔が目の隅に見えた気がする。
いや、見えたんだ。僕はこの目で見た。

Hは受かっていた。

蹴落とされたのは、僕の方だった。

バカらし。

「お前のしてきたことは何だ?無駄だったんだよ!」
父が家に帰る車の中で叫んだ。
うるさい。
「悔しくねーのかよ。お前はこれから3年間あのバカ中学行かなきゃいけないんだぞ」
父が笑う。嘲笑しながら僕を見下して言う。
うるさい・・・お前に何がわかるっていうんだ。
僕の努力をどれだけ知ってるっていうんだ。
「悔しいならもっと努力しろよ。もう今更遅いけどな!」
父はまだ嘲る。
「高校受験でリベンジしなさいよ」
母が言った。
その言葉に優しさなんて微塵も感じなかった。

ああ、僕は何の為に頑張ってたんだ?
今までの努力も金も水の泡?

それから、3年後。

僕は高校受験でも同じ目に遭う。

「学習能力ねーのかよ、ほんとにバカだな」

頑張りようがないじゃん。
結果出せないんだから。
結果がついてこないのなら、僕はもう努力しない。

うるさい・・・

父の言葉が頭の中で反響する。
未だに僕のこころの底まで深く刺さって、じわじわ抉るように痛めつけてる。
by haccax | 2004-08-27 13:37 | 飴箱(長文)


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